失って気づいた一年間

「失う」とはなんともカッコいい響きである。

「なくす」にはない影を帯びた大人のおもむきがある。

 

「失って気付く大切さ」

 

何を失ったのかわからないが魅力的な言葉だ。

できれば失う前に気づいてほしかった。

しかしこれがもし、こっちの表現の場合はどうだろうか。

 

「なくして気付く大切さ」

 

少し弱くなる。

「財布でもなくしたのかな?」

と思われてしまうし、「なくす前に気づけよ、バカ」と言われる可能性もある。

 

「失うものがない強さ」

 

強いのである。

失うものがないと強いのだ。

「弱いから失ったんだろ」と言われたらグーの音も出ない気もしなくもないけど、そんなことを言う奴には、失うものが何もない人間の恐ろしさをグーで教えてやればいい。

しかしそうなってしまうと「失うものがあると弱い」という考え方にもなる。

私自身でいえば、常日頃から「健康」は失いたくないと思っている。

すごく弱い発想だ。

「健康な身体が欲しい」と常に思い、ランニングなどのトレーニングに勤しんでいるのだが、それは逆に弱い心を生み出しているとは盲点だった。

これからは失ってもよい体に仕上げるべきか悩みどころだ。

 

「失ってもいい1年」

 

これはどう捉えればよいだろう。

かっこいい気もする。

ガムシャラ感と寂しさが両方伝わってくる。

 

「失ってもいい1年だった」

 

過去形だとアウトになる。

しかし、私も去年はそんな1年だったので、どうか皆さんの今年1年がそんな年でありますように。