自分探しをした結果

「探し物はなんですか?

見つけにくい物ですか?

カバンの中も、机の中も探したけれど、見つからないのにまだまだ探す気ですか?」

 

このあと陽水は「僕と踊りませんか?夢の中に行ってみたいと思いませんか?」と続ける。

「探すことよりも、僕と踊ったりする方が超ハッピーだよ」という思想を、陽水は音に乗せてくる。

さすがは一流の歌手。ちなみに、この曲のタイトルは「夢の中へ」である。

ドラッグパーティーに行くのを拒んでいる女性の耳元で囁くために作られた曲かと疑いたくなる程の完成度な高さ。

凡人はついつい探してしまう。

カバンや机の中どころか、自分の心の中や、猫のお尻の穴の中も探してしまう。

そうするとたまに、「本当の自分」が見つかった気がしてしまうけど、それは錯覚である。それは恐らく排泄物だ。

長い時間や苦労を経て発見した物は、自分にとっての大事な物だと思いたいがゆえの幻想だ。

排泄物を本当の自分と間違えること自体はだいぶ物事の本質を突いている気がして、それはそれでセンスの塊であり、糞尿の塊でもある気もするけど、だからといってそれを生涯大事に抱えて生き続けるの苦痛極まりない。

「苦痛を抱えて生きていくのが人生である」とおっしゃる立派な方々もいるとは思うけど、そんなものを抱えるのが人生だとしたら、まさに人生とはクソそのものである。

探した結果何も見つからない人もいるとは思うので、クソだろうが、なんだろうが、何かしら見つかった人はまだ幸運(幸せなうんこ)なのかもしれない。

陽水先生は後半になると、「探すのやめた時、見つかるのもよくある話しで」とおっしゃる。

このスタイルで婚活でもしようものなら、それこそ結婚相手は見つからないけど、本当の自分は見つかりそうな気はする。残りの人生のパートナーはずっと自分自身なのだから、否が応でも発見せざる得ない。

発見してしまったがゆえに「見なかったことにしたい」と思いたくなることもある。

パートナーの浮気現場や、パートナーの携帯電話や、パートナーが昔に付き合ってた人と撮ったチュープリとかは、できれば見なかったことにしたい。

しかし、犯罪者が罪を犯した後に「なかったことにしたい」と思うのと同じで、この言葉は連想した時点で不幸確定があり、そこからは確変モードに突入するので、今後はさらに高確率で自分の顔が画面に三つ並ぶことになる。

己の顔面横並びの構図を見て嬉しく思えるのは、自撮りとインスタ映えを突き詰めて研究するという、ストイックな趣味を持つ一部のプロだけで、恐らくほんとんど人は目を瞑りたくなるだろう。

しかし、目を瞑ってもそれを遮ることはできない。

本当の自分はいつでも自分の中に存在している。