小さな幸せに気づける生活

秋である。

「小さい秋、小さい秋、小さい秋みーつけた」の秋である。

もちろん見つけるのは秋だけではない。

「幸せ」も見つける。

むしろこっちの方が必死になって見つけるし、見つからなくても見つかったことにしておく。

その気になれば小さな幸せならどこにでもある。

今では懐かしくなった「はっぱ隊」は歌の中で「息を吸える 息を吐ける」と言って喜んでいる。

 

 

「小さな幸せに気づける生活を手に入れよう」みたいなことは言う人がたまにいる。

主婦雑誌の見出しに書いてありそうだし、瀬戸内寂聴が言いそうな言葉である。

つまり主婦雑誌の中に寂聴が登場すれば100回は言うだろうし、調子が良い日はもっと言う。

確かに小さな幸せには気づきづらい。

「はっぱ隊」のように呼吸ができるだけで喜んだりできないし、むしろそれが幸福と感じる奴がいたら少し心配になる。

もしくは「こいつは神か仏か寂聴の生まれ変わりなのか」と思い寂聴の安否が心配になる。

私はできれば大きな幸せを手に入れたい。

幸せの大小の基準は人によって違うけど、私の場合は小さい家より大きい家に住みたいし、小金より大金が欲しい。

「友達100人できるかな?」に煽られて無理に友達を100人作ろうとしなくて良いと思うけど、ガールのフレンドの方は「100人乗っても大丈夫!」なので破竹の勢いでどんどん乗ってきてほしい。

少なくても良いのは病気の数とトイレに行く回数と寿命くらいである。

なので大物を狙いが無理そうになった時にだけ「はっぱ隊」に入隊する所存である。

しかし今の状況ではだいぶ高い確率で呼吸LOVE教の信者にならざる得ない。

それを避ける手段は今のところ見つかっていない。

割と必死に探してはいる。

しかし見つからないのだ。

葉っぱならすぐに見つかるけど。