台風は外れてほしいけど、天気予報は当たってほしい。

「外れる」という言葉にあまり良いイメージはないと思う。

「ハズレ」と表現すると残念感が分かりやすくなるかもしれない。

子供の頃は特にこの「ハズレ」に対して強い憎しみを抱いていた。

「ハズレかよ」

こんな言葉を何度も吐き捨ててきた。

当たると思っていたのに、外れる。

こんなに悔しいことがあるだろうか。

しかし大人になるとハズレてほしいことも出てくる。

台風だ。

台風は外れてほしい。

更に言えば「今回は確実に台風が当たります。特に東京はやばい。ボロい家は吹っ飛びます」くらいのことをお天気レポーターが豪語していた時にこそ外れてほしい。

「安心して、たぶん外れるから。外でバトミントンとかも出来るから」とか言う余裕にあるレポートをして、予想通りハズレてもあんまり嬉しくはない。

「よっしゃ!ハズレた!」という喜びと安堵を一緒に噛み締めたい。

しかしこの喜びのパターンで台風が外れると言うことは、天気予報も外れている。

天気予報が外れて、台風も外れる。

ハズレっぱなしだ。

これが子供の頃なら「またハズレかよ!」と怒怒(オコオコ)していたかもしれない。

でも大人になるとオコオコしない。

ハズレさえも楽しめるし、これくらいしか人生での楽しみは残されていない。

しかし台風も何もないような、普通の日に天気予報が外れると、それはもう怒怒怒(超オコオコ)。

「降水確率10%」の日に雨が降ろうものなら、まず良純を吊るす。

「降水確率20%」でも降ろうものなら、次は木原を吊るす。

これで良質な照る照る坊主が二つも出来るので安心感がパンパース。

多い日でも安心だ。

一般人にとって「20%」は降らないのである。

「20%って予報したから雨が降っても外れてはないじゃん」などと、吊るされている良純が戯言を吐くようなら、今度は親兄弟あたりも一緒に吊るした方がいいかもしれない。

何度も言うが「20%」は降らないのである。

「20%」も「10%」も「0%」なのだ。

逆に「50%」は降る。

「60%」になると、ほぼ「100%」

天気予報がよくわかない。

天気とはどうやら複雑なものらしい。

秋の空は特に複雑らしい。

もちろん女心も複雑だ。

この流れだと「女心は秋の空」というオチで終わる確率「60%」

つまりほぼ「100%」

女心は秋の空。