「愛のあるSEX」はこうやって生まれる

三木道三の代表曲「Lifetime Respect」の中には、こんな有名なフレーズがある。

 

「愛のあるSEXに精ェ出したり」

 

愛のあるSEXとは一体どんなSEXだろう。

まず、この歌詞に限って言えば、「精」のところを「精ェ」と書いてることを考えると、「愛のあるSEXで、精ェ的な液体を出してる」と推察しても間違いではないと思う。

愛があるゆえに、結果的に「精ェ」が出てしまったということだ。

別に愛がないSEXでも精ェは出るし、愛もなければ相手もいないストイックな行為でも、もちろん精ェは出るので、どんどん出してイキたいと常日頃から思っている。

私の場合は超確率で、愛も相手も「無し無し」トッピングである。

もしも「有り有り」のトッピングライフを送れていたのら、もちろんこんなブログは書いてないし、たぶんその辺にいる身体の弱そうな奴らにタンパク質を施してあげるという、とても有意義な生活を送っていたと思う。

でも相手の「有り」はバカでも子供でもバカな子供でも分かるけど、愛の「有り」は何を基準に測るのだろうか。

まずは「長さ」だと思う。

そうなると、バランスのことも考えて「太さ」も一緒に欲しくなる。

いや、違う、「長さ」とは物資的な方ではなくて時間の方だ。

でも、時間とは言っても「試合」の時間の長さなのか、「試合前」の時間の長さなのかもちゃんと考えないといけない。

これは実は、割と難しい。

「試合前」に程よいパス練で連携を図ったり、入念な走り込みで汗を掻いて、準備万端になり、自信満々に「試合」に挑んでも、サイバイマン戦のヤムチャみたいにあっさり負けては意味がない。

 

 

サイバイマンの場合は自爆しているのである意味でWin-Winだけど、ベットの上の戦いとなると、対戦相手は目の前で生きているけど、目だけ死んでいるということになりかねない。

だからとっていって、試合時間は長いけど、ウォーミングアップの時間が短いというのもよくない。

ケガをする。

ちゃんと体を温めないと良いパフォーマンスは発揮できないし、大きなケガをしてしまうと競技に復帰できなくなる。

つまり「出来ればどっちも長めの方が望ましい」という、フルマラソンを完走するみたいなストイックな結論に導かれる。

でも、長ければそれで良いという訳でもない。

質も求められる。

マラソンで歩くのはもちろんNGで、「結構良いタイム」で完走しないといけないらしい。

超ハードだ。

でも確かに、これだけ運動量なら「試合後」に放心状態になるのも頷けてきた。

さすがにこの状態では、5人組ラップ集団の元メンバーの元奥さんに「もう一回!!」と元気に言われても、膝がガクガクで動けない気がします。

「足りない!足りない!2人の絆〜」と、あんな美人に歌われたとしても、それは実は結構つらいことなのかもしれないです。

あっちの方まで365日が夏休み状態になるのは、結構厳しいでSUー。