コインランドリーと文庫本

『読書=知的』

実際にこうなるかどうかは怪しいが、読書をしている姿が少しかっこよく見えることはある。

岩波文庫あたりを読んでいれば尚良しだ。

ところで私はこの前、天候の悪い日にコインランドリーで洗濯物を乾かしていた。

待っている間に暇なので本を読んでいた。

もちろん文庫本である。

 

「コインランドリーで文庫本を読む」

 

私は主人公感を感じることができた。

無駄に足とか組んだりもした。

フォトジェニック。

私は一つの被写体へと変化を遂げた。

しかし変化を遂げたところで洗濯物が早く乾く訳でもなければ、日々の金銭的な悩みから解放される訳でもない。

ましてその被写体を撮影してくれる人は誰もいない。

それでも自尊心だけは満たされる。

だが、その自尊心はすぐに崩壊することになる。

読んでいた本を後半まで読み進めると、そこには大変なことが書いてあった。

 

『ここまでこの本を読んだ読者なら、すでにお気づきだと思うが〜・・・』

 

私も「ここまで本を読んだ読者」であることには間違いないのだが、お気づきにはなれなかった。

被写体はそこで不愉快になる。

「ここまで読めば大体わかるでしょw」と言われた気分。

一体何なんだ。この著者は。

こうなると本の購入代金を返してほしいし、この本を後半まで読み進めた時間も返してもらいたい。

そして何より私の自尊心と主人公感に浸った余韻を返してもらいたい。

それが叶わないのであれば、乾いた洗濯物を畳んでほしい。