「食べたい」は怖い

私たちは日頃から多くの命を頂いている。

つまり「お肉食べたーい」は「牛の死骸を咀嚼したーい」である。

別に豚とか鳥でも良いし、肉である必要もないのだけど私たちは生き物の死体を常に食っている。

 

そう考えると「食べたい」はだいぶ残酷な言葉に聞こえてくる。

「殺したい」よりも全然強烈。

「殺す手間は他の奴に任せて、美味しいとこだけを金で頂く」ということであり、まるで裏社会の大物が言い放つセリフのようにさえ感じる。

「新鮮」も怖い。

「死にたて」である。

つまり「新鮮なお肉が食べたーい」は「殺してすぐに持ってこい」と言っていることであり、やはり裏社会の大物感が漂う。

「魚介類の活け作り」を注文する場合は「死なない程度に痛みつけておけ。あとは俺が咬み殺す」と宣言していることになり、「踊り食い」の場合は「痛みつける必要もない。咬み殺す」ということなので、誰もがすぐ顎に自信のある殺し屋へと変貌を遂げる。

フィリピンや中国などに「バロット」という食べ物がある。

これは「孵化直前のアヒルの卵」である。

つまり「赤ちゃん一歩手前の鳥の死骸を食す」ということになるので、なかなか怖い食べ物だ。

ビジュアルがかなりエグめなので少し可哀想な気もするけど、結局この鳥たちの運命は「生みたて」か「生まれ寸」か「そこそこの大人」になってから食われるので、どれが一番可哀想なのかはよくわからない。

「親子丼」というメニューは多くの人に愛されているけど、だいぶ凶暴なネーミングセンスである。

豚肉を使った場合に「他人丼」と名付ける人もいる。

だけど等の本人たちからしたら、相手が鳥であったとしても自分が生んだ子供と再会している可能性はだいぶ低いので、どちらにしろ「他人丼」である。

場合によっては「生き別れになった子供との感動の再会」となる可能性もなくはないけど、「生き別れしたけど、再開するのは死んで味付けされてから」ではあまりに悲惨だと思う。