ピンチはチャンス、ピンチャン

ある特定の人たちにとっては、「ピンチ」な場面とは「チャンス」な時でもあるらしい。

どっちなんだ。

「3点で迎えた9回裏、ツーアウト満塁、一発出れば逆転」の場面の場合、守る側にとってはピンチであり、攻撃側にとってはチャンスである、という意味なのか。

どうやら違うらしい。

「ピッチャーは打たれると逆転されてしまうのでピンチなのだけど、逆に見事に抑えれば自分の評価が爆上がりなのでチャンスでもある」という意味らしい。

ポジティブ。

これが今交代したばかりのリリース投手なら「自分の見せ場」になるので、そう考えるのも分かるけど、もし満塁になるまで打たれて投手が自分でそう思っているなら、その考え方は直した方がいい。

そんな考えでは、私生活でもしも自動車事故を起こしてしまっても「ここで超絶印象の良い謝罪をすれば、評価大。つまりチャンス」と考えたり、「ウンコ漏らしたけど、これはチャンス。パンツの買い替えにベスト。まじラッキー」と思ったりしてしまう可能性に繋がる。

事故は起こさない方が相手も助かるし、ウンコも漏らさない方がパンツも喜ぶ。

でも車の修理屋やアパレル業界などの人達からすると「他人の不幸は蜜の味」なので、どうせ事故るなら死人が出ない程度に豪快にぶつけてほしいし、もし漏らす場合も死なない程度にズボンまで侵食させてほしいと願っているはず。

つまり自分のピンチとは、自分のチャンスでもあると同時に、他人のチャンスでもある。

自分のピンチが誰かのチャンスに繋がると知れば、これからは率先してピンチになりたい気持ちが芽生えてくる。

そもそも、ピンチはチャンスである。

自分がピンチになると自分にチャンスが生まれ、それと同時に他の人にもチャンスが生まれる。

同じことを二回書いてしまったが、こんな風に何度も書いていると、「本当はピンチなんて世の中には存在しないのでは?」という疑問すら湧いてきた。

これはピンチだ。

脳みそがピンチになるのは笑えない。

「借金なんか本当はないのかも」とか「彼女が本当はいるのかも」とか妄想している連中と対して変わらないどころか、言葉の概念を捻じ曲げようとしている大物哲学者気取りになっている為、更にタチが悪くて超ピンチ。

しかし、しかしである。

もちろんこれはチャンス。

超ピンチなので超チャンス。