もう半分?まだ半分?

どんな時でも「気の持ち方」で状況は大きく変わる。

コップの中に水が半分ある時に「まだ半分」と思うか、「もう半分」と思うかでだいぶ変わるのと同じ。

年収180万円の人が「180万もあればピカピカの軽自動車がフルオプションで買えるヤッピー」と思うか、「月収にしたら15万」と月換算にして冷静に考えるかの違い。

または、ゴミをゴミと捉えるか、ゴミをエネルギーを生み出す資源と捉えるか。

ゴミの99%を再利用しているスウェーデンの人たちはゴミを資源と捉えると思うし、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の最後にシーンで、新型デロリアンにゴミをガソリン代わりに入れている科学者のドクも、ゴミを資源と捉えると思う。

しかしそれ以外の人達にとってはゴミはゴミだろう。

「ゴミ屋敷」に住んでいる人たちにとっては、ゴミを資源どころか「宝」として保管しているのか、それともただ掃除ができないだけなのか、それは聞いてみないと分からないけど、聞きたいとは思わない。

ただ、隣にそんなヤツが住んでたら引っ越すことだけは確か。

話しを「コップの水」に戻す。

「コップの水がまだ半分、もう半分問題」に関しては、「状況による」としか言えない。

砂漠のど真ん中で喉カラカラの状態の時に、偶然水が満タンに入ったコップが落ちていて、それを喜んで半分まで飲んだら「もう半分しかない。あとコップ小さすぎ」と嘆くだろう。

学校でいじめられてる人が「いろはす2リットル一気飲みの刑」を処され、それをなんとか達成した満腹状態のところに「最後にだめ押しのコップの水の刑」も処されて、なんとかコップ半分まで飲んだ時には「まだ半分もある。あと何このイジメ。陰湿すぎ」と嘆くと思う。

これはどちらも間違っている。

「まだ半分?もう半分?」とか考えてる時点で「徳」が低いとしか言いようがない。

まずは水に感謝。

古代から雨乞いの儀式が世界各地であるように、水とは本来は貴重なもの。

そしてコップにも感謝。

ガラスをあんな薄く綺麗にして、手に持ちやすい形状にしてくれているのに敬意が欠けている。

そもそもコップがガラス製では無くて、水の量がわかりずらい材質だったら「まだ半分?もう半分?そもそも本当に半分?」となにやら哲学っぽくなって、だいぶ話しがとっ散らかる。

なので今後もしも誰かに「まだ半分だと思う?もう半分だと思う?」と聞かれたら、逆にこう問い返そう。

「お前、脳みそも半分?」