「今カノを元カノの名前で呼ぶミス」をしてみたい

世の中の多くの場所で「マウントの奪い合い」が行われている昨今。

「愚痴と見せかけて結局はのろけかよ」とか「友達を褒めてる振りして、結局は『友達を大事にしてる俺』アピールかよ」と思ってしまうことも多い昨今。

どこかの偉人が「人間の体は99%が嫉妬心で出来ている。残りの1%もほぼほぼ嫉妬心」と語るように、人間とは嫉妬心を永遠に抱えながら生きる生き物。

隣の芝生は常に真っ青だけど、お猿のお尻は真っ赤か。

そのこころは、どちらもshit(大便・クソ)まみれでしょう。

ネズッチです。

つまり「嫉妬」とは「shit」から無理やり作った和製英語みたいなもので、「嫉妬心」は「クソまみれの心」ということであると勝手に解釈してる。

つまりは年中垂れ流し。

クソと同じくらい永遠に出続けるし、拭くのはめんどくせーし、匂いもクセェ。

それくらいのうっとしい存在のものなので、それを完全に排除をしようする考えは間違え。

排泄物と同じように付き合う必要がある。

もしくは己のウンコを投げるゴリラみたいに自分のshitを相手に投げるしかない。

今ネットで調べてみたら、「カナダの飲食店でトイレを貸してくれと言った客が店員に断られ為、怒りのあまりウンコを店員に投げる」というニュースが見つかった。

なかなかグッとくるニュースだ。

ホモ・サピエンスの先祖の血が濃いめに残っている感じが伝わってくる。

このようにshit心とは自分で抱えたり上手に自分の心の中で消化したりするものではなくて、相手に投げつけるのが本来の使い方なのかもしれない。

でもただ投げるにしても現代ではある程度調理をしてから投げないと、相手が武器を使って反撃してくるかもしれないし、社会的にも居場所が失われる。

要は「美味しそうに見えるけど、食べてみたらは結局ウンコかよ」というものを相手に投げる必要がある。

その典型が「自虐ネタという薄皮で上手に周りをコーティングしてある自慢話」である。

なので、最初に書いた「結局はのろけかよ」みたいなことが頻繁に起きる。

この不毛なウンコな投げ合いに終止符を打つのは不可能なので、どうせなら私もスペインのトマト投げ祭りみたいに楽しく加わりたいし、なるべく良いトマトを相手にぶつけたいとも思ってる。

ここでやっと今回のタイトルの事を書けるのだけど、私は「今の彼女を、昔の彼女の名前で呼んでしまうミス」というのをしてみたい。

正確にはそのミスった話しを多くの人に聞かせたい。

「いやぁーこの前は参ったわ。間違えて彼女の名前をさ~」という感じで、すげーミスってマジでヤバみ感を上手に発揮する自信はある。

せっかく待望のミスをしたのに近いうちに友達と会う予定がなかったら、LINEのグループトークでその事をすげー悔しがってる感じで発表すると思う。

もしくはSNSで友達が結婚報告とかした投稿に対して、「結婚おめでとう!!あと、俺この前すげーミスって彼女の名前をさ〜」というコメントを送って、出来るだけ多くの人に己の名誉あるミスを披露する方法も視野に入れてる。

でもこのミスをするには「相手が必要」という、ベリーロールはもちろんのこと背面跳びでも超えられないような高めのバーが設定してあるので最近ではほぼ諦めムードだ。

コーティングしてないウンコで勝負しようと思ってる。