人の不幸という蜜を与える側になる

どうして人の不幸は蜜の味がするんだろう。

もちろん人の死や重めの病気となると蜜の味はしづらい。

それに「人の不幸」よりも「人が喜んでいる時の顔を見るのが好き」という立派な方だっている。

「不幸になった人を助けるのが好き」という素敵な人だっている。

そして、元々不幸な人が更に不幸になっ時の蜜はすごく不味い。

 

成功者の不幸。

 

このタイプの蜜は美味しい。

熊のプーさんになったつもりベロベロ舐める。

「成功者」までいかなくても「昔からイケてた同級生」の不幸もそれなり美味しい。

「学年で一番のマドンナが離婚。もしくは未婚。もしくは既婚だとしても旦那は低収入の元ヤンで非正規雇用」と聞けば、ついついガッツポーズが漏れる。

「学年で一番のイケてた男子が禿げる」なんて聞けたら嬉しすぎて涙が出るし、これから人に対して優しくなれる気がする。

高めの育毛剤を送ってあげたくなる。

あと人の不幸を聞くと「心の余裕が生まれる」という効能もある。

自分の周りにいる人が全員「金持ち」とか「幸せの家庭を築いている」とかだとしたら、少し辛くなる。

「金持ちだけどブサイク」とか「家庭は順調だけど顔がキモい」とかだと少し落ち着く。

「ただ純粋にブサイクで超不幸」みたいな人を見ても落ち着けない。

なんとかしてあげたくなる。

でもこれこそが心の余裕。

「ブサメンをなんとしてあげたい」という心の余裕。

一歩間違えると見下している風にはなるけど、そこは常に紙一重なので上手に付き合っていきたい。

でも「ブサメンに美人の彼女ができたらしい」と聞けば心の余裕は一気に消える。

鬼のように恨む。

そのブサイクな顔の持ち主が、もしも「俺の彼女見ますか?」とか言ってスマホを向けてきたら、罰を与えなければいけない。

調子に乗ったブサイクの罪は重い。

少なくてもそのスマホは叩き割るし、場合によっては人口を1人減らすことが必要になるかもしれない。

基本的に自分よりも下だと思ってた奴の成功は許せないけど、だからといって更に不幸になられると見てるこっちが辛くなるのでやめて欲しい。

つまりは現状維持がベスト。

なので「常にそこそこ不幸な人」は安心してほしい。

その「不幸という蜜」は、きっと誰かを幸せにしてるから。