「男女の友情」のハードルが高すぎる件について

男女の友情は成立するのでしょうか。

この話題は僕が以前にも書いたことがあるし、巷でもだいぶ使い古されている話題なので、今となっては議論として成立するかも分からないけど、他に書くこともないので少し考えてみましょう。

たぶん、友情は成立すると主張する派の人々は「僕、私には今そういう友人が実際にいるから成立するはず」と言い、成立しない派は「今がそうでも今後は分からないし、相手がどう思ってるかも分からない」と言うと思います。

どちらも大変に真っ当な意見ですね。

つまり、この問題は「人による」という結論に導かれると思います。

この大雑把で人の多様性を重んじた素晴らしい呪文「人による!!」という奥義で、この問題は簡単に決着できます。

でもそれだとサンデル教授が「もっと議論しろよ」と叱咤するだろうし、場合によっては「会うたびSEXしてるし、将来は一緒の墓に入る予定だけどガチでズッ友」みたいな乱暴な意見も有りになるので、ここでは奥義は封印します。

そもそも、この議論はよく考えてみると、別のところに問題があります。

それは「友情は成立しない派」の主張の中に見つけられます。

成立しない派の一般的な主張の中に「今は友達でも将来は分からない」といったものがありますが、それを言ってしまっては終わりです。

「なんも言えねー北島康介」が久々に登場するくらいになんも言えなくなります。

その理屈でいくと同性同士の友情すらも存在するか分からなくなるし、自分の実の子供に対しても「君のパパは僕だよ。今はね。将来は分からないけどね」と毎回しつこく説明しないといけません。

パパ問題の方は血の繋がりあるので一家が離散してもギリ関係を維持できそうですが、友情になると難しそうです。

「あいつとは何十年も付き合いがあるから一生親友」みたいに素敵な発言が、「今回の事件までは一度も殺したことないから私は無罪」みたいな支離滅裂な主張を裁判所の証言台でしてる、人殺しのようにも感じられてきそうです。

そして「成立しない派」の主張はもう一つ問題があります。

「相手の気持ちは分からない」というやつです。

「そりゃ、分からねーよ」です。

もっと高度になると「相手の気持ちが将来的にどうなるか分からない」というのもあります。

あまりの未来志向っぷりに驚愕して震えそうです。

自分が今「1億円欲しいな」と思ってもいても、5秒後には「やっぱ8億は欲しいし鳥にもなりたい」と思う可能性があるのに、相手の将来の気持ちなんてわかるわけがありません。

こう考えていくとキリがないくらいに揚げ足を取れそうです。

でも「男女の友情は成立するのか」みたいな議論は、「そもそもなんで異性愛が当たり前だと思ってるの?」みたいな感じで揚げ足を取られる場合もあるので、注意が必要です。