絶対に負けられない戦いが銭湯にはある

最近、サウナの素晴らしさを語るタレントさんが沢山いるらしいので、若干ではあるけど銭湯の人気が高まっているようです。

なので僕も銭湯に行こうか悩んだりするのですが、いつも思い止まってしまいます。

それはなぜかというと、銭湯とは、戦いの連続の場所だからです。

そこにいる全ての人間が、恥部からでんぶまで全部をさらけ出すような場所なので、心身ともに開放感がありそうですが、それは違います。

まるで、一途なビッチのように、体はすぐに開放できても心まで開放できない。

そんなふうに己の心と身体の攻防が繰り広げられる場所が、銭湯なんです。

まずはその無防備な恥部。

男の1番のウィークポイントをさらけ出すという愚かな行為には、様々な戦いがつきまといます。

親切な厚めの皮が己の弱点を守ってくれてる人の場合、その人はその皮を上の方に押し上げて繊細で内気な内側をみんなに見せる努力が必要になります。

皮がなしなし固めの人でも、もし普段よりもサイズがスケールダウンしてる時には刺激強めのウィルキンソンをかけるなどして元気を与えたりしないといけません。

その際にフルマックスになってしまうと場内がざわめくので、加減には気をつかいます。

そして、それをうまく突破できとしても、次の戦いが待ってます。

サウナです。

普段銭湯に行かない人が、銭湯におもむきお金を使ったら、サウナが好きでない人でも貧乏根性を発揮して一応サウナに入っておくのが下民の習わし。

でもそんな浅はかな行動をとった下民に待っているのは、湿気と熱気によるハーモニーが醸し出す快楽なひと時ではなくて、人との醜い争いです。

「人間の歴史とは争いの歴史である」と言われるように、わざわざお金を払って人様に恥部を見せ、そして逆に見せられてもいる偏差値が犬以下の状態でも、人は争いからは逃れることはできないのです。

「自分よりも後からサウナに入ってきた人より、先に出ることは武士の恥」という重たい任務を自分に課して孤高奮闘します。

でも「戦争は人を幸せにはしない」のと同じように、この孤独な戦いからも幸せな人間は生まれません。

そして、もしも上手く、その戦争をくぐり抜けられたとしても、そこにはまた別の戦いが現れます。

尿意です。

自分の家のお風呂だったら「やったれ」と思ってぶちまけますが、多くの人がいる銭湯ではできない。

だからといって今更トイレに行くのもめんどくさい。

でも我慢するのもつらい。

この戦いが1番厄介です。

しれっとシャワーの水と一緒に流してごまかすのが一番楽ですが、それを遂行するには完全犯罪にしないと名探偵が騒ぎ出し、武士にとっては切腹ものの恥をかかせられるかもしれません。

絶対に負けられない戦いがそこにはあるのです。